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【日本史】日本武尊とは?

日本武尊 西暦114年没 42歳

 

先般、訪問した日本武尊の墳墓を見守る能褒野神社。

明治初頭までは、鈴鹿市加佐登の白鳥塚が墳墓と言われてきましたが、以降、こちら亀山市の能褒野(のぼの)を、日本武尊の墳墓として治定されています。

宮内庁の管理する日本武尊の墳墓です。

辿り着けない人が居ると言うのは本当かも知れませんね。実際、その様な分かりにくい場所です。

天皇墓陵と言っても、ひっそりとした感じなので、皇子とあらばこんな感じなのでしょうかね?

 

改めて日本武尊の足跡だとか、あれこれ文献資料を読む機会を持ったのですが、やはり、とても興味深く、改めて疑問も起きている状況です。

上の写真の書籍は、新しく入手したもので、これから楽しむ予定の書籍です。

 

改めて考えされられると言うのは、熊襲征伐、出雲征伐、東国征伐における日本武尊の人物像が、私は個々に違うと感じるのです。

行っている、いない。そもそも日本武尊の討伐など無かったと論じられる方もおいでです。

例えば歴史教科書って、地理も現在の地形をベースに考察していたり、それはおかしいよね?因みに日本武尊の東征の時代に濃尾平野は伊勢湾から続く海であったことを研究者の方々、忘れちゃいませんか!ってお話も多いのよ。まぁ、口伝とか、そんなものなかも知れませんがね。

 

と言う事で思いつくのは「日本武尊」と言うのは、所謂、役職や官職の名前で、複数人居たのでは無いかと推測に私は合点がいきます。

 

倭国による全国討伐国家平定の功績が、天皇家のものではない誰かによるものだったとしたら?

例えばね、総理大臣の掲げる政策が政府主導省庁の働きではなく、一民間企業の手によって成し遂げた功績だとしたら?

国史を書き残すのに、どうしたでしょうと問われれば、自ずと答えに辿り着きそうですよね。

 

それとね、神代の話で、神様の名に「大」と付くと、それは複数人、もしくは官職歴代みたいに受け取れる神様が多数存在していることも気になります。

 

日本武尊は、本名は小碓命(オウスノミコト)と言われている訳です。

日本武尊と記される場合もあれば、倭建命と記されることもあることは、周知のことですね。

因みに日本武尊に縁のある熱田神宮には小碓命とある祠は残念ながら見つかりません。

 

例えば、国家平定のストーリーを、日本武尊と言う架空のヒーローを仕立てて、伝承したと考えた時に、討伐における個々の人物像に違和感があっても何も不思議ではありません。

 

では、個々の討伐における人物は誰なのか?

 

ズバリ、一番、可能性が高いのは「武内宿禰」でしょう。

西へ東へと、話が何か似てますよね。

蝦夷討伐を進言したのは、武内宿禰本人ですし、日本武尊の父 景行天皇との関わりも深いですよね。

武内宿禰は参謀かも知れませんけど、武内宿禰であり続け無いといけない。

 

出雲は、やはり素戔嗚だと思います。

 

東征については、武内宿禰が、あまりにも長寿すぎるので、大国主(大己貴、大物主、同一人物もしくは官職名)と考えると、何か面白いなぁ〜♪

 

歴史ですから、色々な解釈があって良いと思います。

昨今、サイエンス的な要素が加わって、以前の様な歴史小説的な内容では無くなって来ているので、理系の私も興味深く勉強をしている次第です。

「年号など丸暗記に試験にして何がおもしろい!」って思っていた一人ですのでwww

 

因みに、私の大好きな熱田神宮の祭神です。

ちょっと振り返ってみましょう♪

あの〜、そもそも熱田大神って誰なの?

誰か知ってますか?

地元の方でも納得の返事をする人に今のところ出会ったことはありません。

まぁ、天照大神は皇祖神としてあって良いとしても、それも主祭神でなくて相殿神ですよ。

一応、熱田神宮にある説明通りに簡単に話をするならば、草薙の剣を依り代とする天照大神の霊力ですわね。

 

う〜んんん。なら主祭神で良くない?

 

因みに、熱田神宮境内には、伊邪那岐、伊邪那美、素戔嗚、天火明、天忍穂耳、他には日本武尊に同行した吉備津彦や大伴武日もあれば弟橘媛もおられますし、宮簀媛本人、そして父母、兄の建稲種、更には大国主、事代主、少名彦。境外摂社には高倉下などなど…天照大神様など、徹社って、わざわざ拝殿から離れたところにひっそりと和御魂って祀られているんですよ。何故でしょ?

楊貴妃とか菅原道真はパスしますねwww

 

素戔嗚は本殿含めて計3箇所も祀られており、別宮八剣宮には本殿と同じ祭神を祀るという不思議さと言いますか超丁寧さなのに、拝殿を取り巻く境内祠には、どこにも日本武尊の名も小碓命の名も出て来ません。

 

そうそう、脱線しますけど、写真を見ると「尊と命」って使い分けてますね。

気づきました?

古事記では命なんですよ。

しかし、日本書紀ではどちらも登場します。

どうやら、尊の方が位が高いとするらしいです。余談でしたwww

 

突然、脱線するのが私のデフォルトですのでお許し頂いて話を戻しますが、何故、日本武尊、小碓命の名前が祠に直接ないのか?

「そりゃ、本殿拝殿が日本武尊で草薙の剣だからでしょ?」って思われるのも当然ですけど、ならば熱田大神ではなくても良いのではないですか?天照大神か日本武尊で良くない?

別に大好きな熱田神宮を腐すわけではありませんよ。兎にも角にも不思議なんです。

 

風土記などを調べていると、熱田神と言う言葉が出て来ます。

解釈が違うかも知れませんが、宮簀媛が熱田の社を創建する時の祭祀に関わったものの様です。

ならば、今まで話しを総合すると、創建時の祭祀を取りまとめた大宮司が熱田大神?

ふふんん〜、熱田神宮の初代大宮司は尾張氏ですね。

藤原千秋家って、この時代の話ではないですよ。

 

まぁ、このあたりの話も熱田神宮においてはよく分からないし、もしくは敢えて明かされないのかも知れませんね。

どうしてって?

先ほど日本武尊が架空の人物だとしたらってお話しましたよね。

尾張氏ですかぁ〜。本当に謎多き氏族ですなwww

 

時に、熱田神宮において、禁足地であった某所は瀬織津姫だろうと力説される方もおいでですが、天照大神の霊力が草薙の剣を依り代としたのであって、瀬織津姫ではないと私は感じていますよ。尾張氏とはあまり関係ないし…

廣田神社の巫女さんパワーの女性や伊勢神宮内宮荒祭宮とは、何か波動が違うように感じるからでもあります。

そりゃね、居てくれたら本当に嬉しいですけど、きっと大楠の白蛇、龍の使いを瀬織津姫と言っているのだと、天照の荒御魂だから瀬織津姫と言っているのだと思いますね。

 

さぁ、草薙の剣を、もう一度をおさらいしてみましょう♪

 

八岐の大蛇の尾から素戔嗚が取り出して、後に天照大神とあれこれあって献上することとなります。

そして、伊勢の地に倭姫がお社を創建し、天照大神を祀り、そこに収めた剣と言われます。

日本武尊東征の際に、剣と火打ち石を授ける訳ですが、東征から熱田の地に戻った際に、宮簀媛に剣を預けて、伊吹山へと討伐に向かい、破れて敗走中、能褒野で絶命します。

そんな宝剣と言われる物をおいていきますか?不可解過ぎるんです。

宮簀媛は手元に預かった剣を亡くなる直前に熱田の社に祀るとありますけども、剣は誰も見てはならないとされ、その実体は不明です。

 

それって、実は剣自体の話ではなくて、国家平定における倭国存在を世に知らしめる何かであったり、もしかすると尾張氏との国譲りの交渉事が宮簀媛とのストーリーかも知れません。

初めて日本武尊と宮簀媛が出会った時には無視されて、宮簀媛は「おつんぼさん」なんて、地元では耳の神様だったりするのですが、始めは交渉決裂だったのかも?

剣は宮簀媛に預けたのではなくて、日本武尊と言われる誰かと宮簀媛の政略婚、国の同盟の話と考えてもおかしくはないでしょう。

尾張氏の国造の一人が兄建稲種ですし、尾張氏と言えば、天氏って関連があって、それは明らかに天孫系だと考えられる訳だし、景行天皇って側室や子供が80人でしたっけwww

もしね、そこまでの宝剣ならば、伊勢の倭姫にお返ししてもおかしくないでしょう。

そもそも本当に宝剣だったのですかと疑問は持っておきましょう。

壇ノ浦も皇居も形代が伊勢で用意されましたよね?

形代って本体があるからじゃないでしょうか?

 

元々、熱田神宮は熱田社、熱田神社、熱田神宮と歴史を刻んでおります。

そして、尾張造のお社を戦争があったとしても、以後、伊勢と同じ神明造り変えています。

どの書物であったか覚えがないのですが、伊勢神宮と熱田神宮とは不仲であった説もあるようですね。

 

さて、日本武尊がフィクションとしたら?

それは、日本武尊プロジェクトかも知れませんね。

 

また、武内宿禰の話に戻りますけど、熊襲征伐は、きっと武内宿禰でしょう。

九州の地に足跡多いですもんね。

 

そして、出雲には素戔嗚。転生したのが日本武尊なんて言われますけど、素戔嗚本人ではないですか?

それは、もしかすると現在の出雲ではなく、阿波徳島伊予の國のことかも知れません。

 

そして、東征蝦夷討伐には素戔嗚の子孫である大国主。

大国主と言えば、驚くほど別名がいっぱいあるんですよ。

つまりは複数人居た。官職名と言うことで間違いないのでは?

 

大国主と言われる人物の誰かが素戔嗚の子孫であること、大国主と言えば和歌山にも縁があると言うことからも、阿波徳島とも関連性も無視出来ないのです。

出雲も諏訪も徳島にありますよね。元宮と言われて居たりもします。

上立神岩、まんま海にそびえ立つ剣ですよ。それは阿波です。

武御雷が大国主に国譲りを迫ったシーンを思い出してみて下さい。

 

尾張地区には大国主から後に祭神を変えたと言われる神社があります。

尾張一宮 真清田神社も尾張大國霊神社(国府宮)もです。

欠史八代と言われる天皇も、実は尾張氏との血縁の可能性があると研究されている方もいます。

何故、尾張氏はそこまで表舞台に出るのを避けていたのでしょうか?

 

あれあれ?という事は、能褒野の墳墓は、大国主と名乗る誰かってことですかね???

日本武尊の没した年も年齢も文献によりまちまちです。

 

残念というよりも滅茶苦茶面白いじゃないですか?

熱田神宮の上知我麻神社には大国主も事代主も祀られていますし、殆どの人が気づきませんけど六末社に少名彦も祀られていますよ。

 

もし熱田神宮に行かれることがありましたら、御祭神をゆっくりと考察してみてはいかがでしょうか?

 

今回も長くなりましたが、楽しんで頂けたでしょうか?

諸説あり、自分なりの考察で、歴史は良いのではと思うことも度々あります。

あまり史実に近づいてしまうと、何だかなぁ〜なんて思うこともありますので、ブログでは、この辺りに留めたいと思います。

 

更なる深掘りは有志勉強会にて進めていますので、この話題については改め機会がありましたら掲載したいと思います。

まぁ、内緒でも良いかなぁ〜www