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ホツマツタヱを知る。

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神様とは?神社とは?神道とは?

あれこれ学び始めると、古事記日本書紀に必ず違和感を覚える事となります。

この時期の国情政情を考慮すれば、権力者による改竄であることは明らかでしょう。

そんな疑問を持っていると「ホツマツタエ」と言う記紀の存在を知る事になります。

 

古事記よりも前の書物とされるも、一部の方々からは偽書扱いです。

でもね、古事記日本書紀魏志倭人伝でも、当時の権力者が編纂を命じたものですから、それとて言ってしまえば偽書でしょう。

聖徳太子は、神道の人物なのに、人物像を後に書き残した人物は僧侶ですからね。仏教に都合良く書き残した部分があると思いませんか?

史学者にとっても、新しい発見は自分の信じる考察持論をひっくり返えされる訳で、偽書と主張するのも当然だろうと思います。

 

写真の本は、『ホツマツタエ』の入門中の入門編ですけども、私が熱田神宮に持っている疑問点に明確な記述を持っていました。😍

その他にも、天照大御神豊受大神、お社の外削ぎや内削ぎの疑問。🤔 瀬織津姫とは。🥰

神話に現れる各神様の名の由来とかね。

40アヤ(章)に渡る文献全てにまで辿り着いてはいませんが、全てを理解したら、とても面白い事になりそうです。

 

ここから、ちょっと長くなるので、興味関心の無い方は「ホツマツタエ」の存在を知って頂くだけで良いのではないかと思います。👍

「ホツマツタエ」には、天照大御神には12人の妻があったとされ、正室瀬織津姫とされるのですが、6月の…

もしやして、奥さん月替りって事ですか?😅

羨ましい…🤣

神事では「夏越の大祓」ってありますね。6月にね。

スサノオヤマトタケルの人物像も変わって来ますが、とても興味深く面白いですよ。

 

この先は、私も熱くなって来たので、興味のある方は参考までに続きをどうぞ。😅

 

さて、弥生系民族の渡来説については、人類史や地質学を考慮すると、弥生系の祖はユダヤでは無く、古代エルサレム東方辺りの一民族であり、どんどん東へ移り住み、人種交配と移動を繰り返し、今の日本に辿り着いた人種であろう事に私は納得です。

その過程に、日本の神々や語源と思われる酷似した名の人物や土地、物が、いっぱい出て来るのです。

日本の民族が朝鮮半島を経由したとの話に、過剰な迄の反応をする方々がおられますけど、そもそも地質学的には、今の黄海は海で無く、海抜が違っていて陸地であった時期がある訳で、初期の渡来人は、必ずしも朝鮮半島を経由した訳では無いとも考えます。

 

今後、ミトコンドリアDNAやゲノム解析が進めば、よりハッキリとした答えが見つかると思いますが、現朝鮮半島民族には現大和民族特有のD/YAP遺伝子が、殆ど見つからない事からも、現半島系民族とは進化の過程が違う事は明らかでしょう。

 

そして、邪馬台国論争にも未だ決着はつきませんけど、一部落集落の様な考えでは無く、海外との接点は、今の北九州辺りで良いと私は考えます。

しかし、ゲノム解析では九州は縄文系のゲノムが多いのです。

地質学を加味した時、渡来人は火山のある阿蘇方面に向かうのでは無く、古来、太陽の昇る方角の東に向かったと同様に、更に東へ向かったと考えます。

黄海のところでも話をしましたが、近代とは海抜が違い、実は瀬戸内海も容易に進めたのではないのでしょうか?

そして、自分達が大陸から渡って来たように、今度は異民族からの侵略を避ける為にも、安住の地として内陸部に国を作る必要があったと言うことでしょう。

その過程には、国造りにおいて先住民族縄文人との交配も当然あったと思います。

 

魏志倭人伝にある邪馬台国の位置を示す水行や海を、大海原を意味するものでは無く、大きな河レベルと考えると四国、瀬戸内海辺りが、北九州よりも離れ過ぎず、天然の要塞としての山や河があり、そして人々が暮らすに必要な平地も存在しており、本土側ではなく阿波伊予辺りに邪馬台国の本体を造ったとしてもおかしくはありません。

愛媛県今治市大山祇神社があり、日本の総鎮守と言われていますね。どうしてでしょう?

阿波伊予の国には、神話記紀に関係する名の神社がとても多いと思います。剣山って霊山もあります。

水銀朱の産地でもありますよね。

 

そして、時代は進み阿波伊予は中央構造線における大地震の被害を受けます。記紀に残る最古の地震南海トラフと記録も地質学研究にあり、人々は地震災害の難から逃れ、阿波伊予をあとに畿内へと移り住み、国の再建をし、祖の地の神話や逸話を、いかにもその地の伝説の様に作り上げて行ったのではないでしょうか?

 

そして、先の北九州と阿波伊予の関係同様に、その後、日本海沿岸の国防や貿易交流が進み、当然の事ながら周辺縄文人との交配や、更に後に流入してくる半島系の百済新羅系と言わる民族とも交配があり、特に百済系と言われる藤原家の暗躍から、現在の異民族混血の大和民族の礎が出来たと考える訳です。近年のゲノム解析にて近畿四国に渡来系DNAが非常に多く分布するのは、その根拠だと思います。

歴史で勉強しましたよね。加茂、物部、忌部、秦、品部とか色々出て来ますね。

ちょっと話は前後しますが、何故、最高神天照大御神は女神とされたのか?

中大兄皇子中臣鎌足が取り入った天皇持統天皇女性天皇ですね。女性天皇の権威を知らしめる事と、百済からの民族や文化を取り入れる為の取引暗躍があって、女性を最高神とするストーリーを作り出さなければならなかった…そして、真相を理解し東に力を持っていた土着系豪族の蘇我氏を抹殺した。

とても面白いなぁ〜。👀

 

...で、ここまで超ザックリと弥生系民族の素人考察をした訳ですが、じゃ、先住民族とされる縄文系民族は、いつどこから現れたのでしょう?

 

2024年の私の課題は、神道を超えて『縄文人』です。🤣

 

今回はここまでとし、又、機会があれば、勉強の結果をアップしようと思います。

最後まで、私のザックリした考察にお付き合い頂きましてありがとうございます。