古事記から日本書紀、日ノ本の記録空白の150年、藤原不比等の謎、伊勢神宮外宮の謎、出雲大社の疑問などなど…
神話に興味を持ってあれこれ調べて行くと、九州北部を経由して渡来人と縄文人の混血が進んだと言われる説や、邪馬台国が九州や西日本にあった説には、私は大いに疑問符が付くのです。
そこで、ゲノム解析にて滋賀県民に渡来人のゲノムが多いと言う点に、大いに興味関心が湧くのです。
伊邪那美命と伊弉諾尊がはじめに生み出した島は「あわ」ですよね。
五十音で初めが「あ」、終わりが「わ」で、隣の国が「いよ」って話大好きです。
天照大御神と素戔嗚尊を考えても、高天原の宮崎説や出雲の八岐の大蛇の話も、
何となく違和感を感じておりましたが、始まりが阿波の国とすると腑に落ちるところが多いのです。
この時代は縄文人の文化であったのでしょう。
ならば、邪馬台国は四国にあった?
うんん…とても面白い!
天照大御神と素戔嗚尊に纏わる神社も、阿波の国にはとても多いのです。
天照大御神は最高神で日本総氏神であることは周知の事と思いますが、総鎮守は今治市にある大三島の大山祇神社です。
なぜ?
更には先般の記事にも書きました豊受大神の渡来人説。
丹後の國の元伊勢籠神社や眞名井神社の謎。童謡「かごめかごめ」の本当の意味。
ゲノム解析にて、北陸から畿内、四国にかけて渡来人のゲノム多いんですよね?
つまり天橋立あたりに渡来人が上陸し文明を発展させていった。
そして日本古来の縄文人との混血が進み日ノ本を統治していった。そこに日本人のルーツがあるのではないか?
天照と豊受の約束とは、一体何なのか?
渡来人と争うのではなく、異文明との和合、そして複数の豪族の国があった日ノ本を統治すると言う事?
そして気になるのが藤原不比等の日本書紀プロデュース説や歴史的記録の処分説。
空白の150年で日本の文化は大きく変わった。
日ノ本を統治する力を持ちながらも、天皇家に従い続けた藤原家の理由も、実は渡来人であって、憶測では百済の王子が不比等であったのではないか?百済の人々を日ノ本へ移住させるのに都合の良い話として神話を作り上げたのではないか?…想像するとワクワクしますね。
当時、天皇家に対し最高権力を持つ蘇我氏を討ち取った中大兄皇子そして中臣鎌足による乙巳の変あたりから、それらの思惑が見え隠れする気もします。
中臣鎌足の出自も色々な地方にあって、作り話感がしてならない。
不比等は中臣鎌足の次男ですね。という事は中臣鎌足は?百済の王家の者?
天皇家の中央集権確立に尽力した藤原家との関係と謎の約束。公になることを隠したかった為に作られた神話の数々。プロデュースby不比等。藤原家暗躍疑惑の数々。
後の藤原家の発展からも、納得してしまうところがあります。
氏に藤が付く身としては、気になる点もあるのですが、まだまだ面白い話が出てきそうです。
今回はこれまで。👋