先般、「引き寄せ」のお話を、少しさせて頂きました。
仕事場でも、そんな話をしていて、一体引き寄せって何かと言うところの簡単な話をしてみたいと思います。
私は哲学者でも変な宗教家でもないので、色々な書物も出ているので、そちらも参考にされると良いでしょう。
私は敢えて「引き寄せの習慣」と言うことにします。
では、私の考える&実体験を滅茶苦茶、簡単に乱暴に説明すると、
引き寄せの習慣とは?
「そこにあるのか、無いのかのイメージと、分不相応なものを手放す判断」なんです。
無いからと、ひたすら「無い」とイメージする癖を持っていたところで、どうすることも出来なければ、どうにもならないのです。
その習慣が間違っていると言うことなのです。
自分が見えてないからと、無いと思う事も間違っています。貴方に見えてないだけです。
いつまでも願いが叶わなければ、終いには焦りとか、やっかみとか、恨みとか、人は邪な心持ちに必ずなるんですよ。
そんな状態で、本当に、今、自分に必要なものが正しく判断出来る訳もないし、出会えることも起きないのです。
過度な思惑はね、いずれ反動として、苦難としてのツケを払う時がやって来ます。
それは、悪い方の引き寄せかもしれませんね。
分かりやすく言えば、返済するあても曖昧なのに、希望的観測で多額の借金やローンとか、言わずとも誰でも結末まで想像出来るでしょ?
ある知人が、「家が欲しければ家の写真。車が欲しければ車の写真を、毎日、目の届くところに貼って、その家で、自分の望む生活をするイメージすることだ。お気に入りの車を楽しくドライブするイメージをすることだ。」と教えて頂いたことがあります。
素晴らしいことだと思いますが…
まぁ、購入出来たとしても、そのおかげで食卓が質素とか通り越して粗末なんて、活力を失っては何も産まないし、何のために手に入れたのかって、本末転倒で恨み節ばかりになっては、果たして、それは幸せな人生なのでしょうかね?
ちょっと脱線しますけど、ネグレストの家庭の相談を受けて訪問したこともありますけど、正に身の丈に応じていない代表的な立派な家と車でしたよ。
そんな簡単に人生都合良く、次々と願い事が叶う訳はありませんね。
でもね、しっかりと考えて、身の丈に応じた目標を持ち続けると、良い引き寄せは起きます。
もし今そこに無かったとしても、そこにあることをイメージして行動し続けることです。
何でも手に入れられることが引き寄せの本質ではなくて、それによって精神的に如何に豊かになれるか否かです。
そして、身の丈に不相応な願いや物は、どんどん手放すことも重要なのです。
中には、そんな苦労しなくても私は順調だよって人も居るでしょうけど、そんな人ばかりならば、世の中、しかめっ面した人ばかりじゃないでしょ?
欲の皮が突っ張っているから、顔も突っ張ってて、人相が悪いのすごく良く分かります。邪気が見えてしまうので本当に近寄らないで欲しいって思います。
じゃ、貴方は引き寄せで幸せなのですね?と問われれば、残念ながら順風満帆と言える様な人生でもなくて、生き死にも関わる様な、どん底生活も経験しましたし、オケラ生活も経験しました。本当に波乱万丈、とても成功者なんかではないです。
大きな挫折と少しの成功の繰り返し、波状攻撃みたいな人生で、事もあろうか母親が「あんたは苦労人だね…」って太鼓判を押してくれるんですからね。
あのさ、この世に居ないから言うけど、もっとマシな男と結婚してれば良かったよな!と強く物申したいですwww
ただね、皆から言われるのが、「何が起きても動じない精神と広い知見の持ち主」って評されるのですが、必ず節目節目で手助けと言いますか、気持ちを奮い立たせる様なギフトを頂き続けることが出来ただけのことで、お陰様でここまで何とか生きて来られたって感じですよ。
つまり、引き寄せもギフトもそんな簡単には得られないってことです。
さて、ここまで引き寄せの話をして来ましたが、因みに願い叶って手に入れたものって、大切に扱ってますか?
願い思いを大切にすることが、引き寄せの始まりなんですけども、それらを手に入れたならば、何を言おうが絶対大切に扱うことですよ。
お金を大切に扱う人には、お金が寄って来るって聞いたことありますよね?
お札の向きを揃えたり、入れる向きに注意してみたりしてませんか?
入ってくる金額の大小の問題ではありません。それは欲得の邪なところです。
他に例えるならば、人を大切に扱えば、人が集まって来ます。
仕事を大切に扱えば、仕事から寄って来ます。稼ぎも寄って来ます。
道具を大切にすれば、仕事の結果に評価が付いて来ます。
色々ありますけど、何となく簡単にイメージ出来ますよね?
常に「ある」をイメージして行動していれば、良い引き寄せが起こります。
例え今無くても、意識として「ある」として行動し続ける癖をつけるんです。
では、皆さんがイメージしやすい悪い例をひとつ。
「金が無い、金が無い…困った、困った。」と行動していたら、どんなことになりますか?
もし、身近にそんな人が居たら貴方はどうしますか?
どこか、その人は他力本願的な発想の人にも思えますよね。
その方に、貴方はお金を見返りもなく差し上げますか?
それとも、お金取られないまいとお財布隠しますか?
きっと、隠すんじゃないですかね?
借用を申し込まれないよう、距離を置いて会うことも避けるんじゃないでしょうかね?
「…ない」が口癖だと、人からも運からもチャンスからも遠ざけられてしまうんです。
だから、苦しくても、日頃から身の丈に応じた「ある」をイメージをする癖をつけるんですね。
そして、もうひとつ重要なのが、願いが叶ったならば、必ず感謝をすることです。
事の大小もあるでしょう。
しかし、小さな出来事にも感謝する癖を持つことです。
誰にって?相手があるなら、目の前の相手にでしょうに、そんな簡単なこと聞くなって。
「ありがとう」って一言で良いじゃないですか?
運が味方してくれた、誰かの見えない力に助けられたと思うならば、崇敬する神社でも良くないですか?神頼みじゃありませんよ。神感謝です。
先般、身内の者が他界しました。
生きてさえいれば、真面目にやってさえいれば、日本の社会なら、取り敢えず食べて行くことが出来るんです。
どれだけの人の手を介して、食事を頂くことが出来るのでしょうね。それは感謝しか無いですよね。
見えない方々の苦労に感謝を伝えるのが難しいってことならば、例えばレジスタッフさんに、代表して聞いて貰えば良いのでは?簡単な習慣でしょ?
回り回って、いつか必ず貴方に「ありがとう」が帰って来るんですよ。
それも引き寄せの習慣ですよ。
あれこれ書いて来ましたけど、スケール小さいやつだなって思われるかも知れませんけど、それもこれも私の身の丈ですのでご勘弁下さいね。
もし参考になるようでしたら幸いです。