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鳥居はなぜ無色と朱色?

皆さんが神社参拝と言わず、よく見かける神社の鳥居。

何故に無色と朱(丹)色が存在するのかを考えたことがあるでしょうか?

 

無色の鳥居と言えば、伊勢神宮や私のホームグランドでもある熱田神宮や、その摂社末社は無色です。

それに対して赤い鳥居と言えば、私がイメージするのは伏見稲荷大社とか厳島神社熊野三山、加賀の気比神社、香取神宮など。

私のホームグラウンドには赤鳥居の津島神社もあります。

八幡宮も朱でしたね。

 

これについては仏教伝来による神宮寺などの影響とも言われたりしますが、果たして本当なのでしょうか?何故、伊勢神宮熱田神宮では朱の影響を受けなかったのか?

日本において神仏習合による唐の影響を受けた可能性も建物を見ると否定出来ませんが、明治において神仏分離により、元来、無色であって朱に塗ったものは元に戻せとあるのです。

 

でも、現代においても残っていますよね。

それは元々、朱色だったから。

 

この話が日ユ同祖論に繋がって行くのですが、古代イスラエルの儀式に家の門戸の枠を朱色に塗って、災いを祓った儀式があったとされており、これらの習慣が神域の入口である鳥居に用いたとされる説があるのです。



日本は八百万の神ですよね。多神教です。それらの複数の神様を民に理解が出来るように、後に持ち込んできた神様を朱塗りで判断させたのではないかと言う説も滅茶苦茶に面白いです。

八幡宮では宇佐神宮が仏教守護の神様という事もあって朱とも言われて居ますし、宗像三女神新羅の国とも関連があるようです。

 

その一例ですが、熱田神宮境内に唯一、朱塗りのお社が存在していて、祭神は素戔嗚尊を祀っています。本殿に相殿神の一人として祀られ、更に別に祠があるにも関わらずです。まぁ、日本武尊素戔嗚尊の生まれ変わりとされているところもあるのでしょうけどね…

熱田神宮 境内摂社 南新宮社

 

素戔嗚尊と言えば、天孫族の足跡にスサと言う国があります。

「スサの王」何となくありそうでしょ?



朱の代表的なところで稲荷神社がありますね。祭神は宇迦之御魂大神なのですが、性別年齢も不明なら、豊受大神と同一神と言われる場合もあります。

 

さぁ、ここで日本神道にて重要人物が登場しましたね。

豊受大神様でございます。

天女とされ、羽衣を老夫婦に隠されて天界へ戻れなかった。更には伊勢に祀られた天照大御神が「ひとりの食事が寂しいので、丹後の国の豊受大神を呼び寄せよ」と雄略天皇の枕元に現れた話の豊受大神です。

現代においても天照大御神の食事を司る神として伊勢神宮外宮に祀られていますね。

天照大御神正室である瀬織津姫は正宮奥の内宮荒祭宮にご鎮座されていますので、ただの飯友って訳ではないでしょう。

 

そこで気になるのが、神社を学ぶと屋根の千木や鰹木の教えに「内削ぎを女神、外削ぎを男神」とする話に疑問符がついてしまいます。

 

 

伊勢神宮内宮は内削ぎです。

天照大御神は女神だからOK!…でもないのですよ。

私が過去、調べてきた神話記紀には天照大御神男神として出て来ることもあり、その正室瀬織津姫なのですよ。

じゃ、内削ぎの女神は嘘ってこと?

とりあえず先に進みますね。

 

では、伊勢神宮外宮は外削ぎです。

祭神は先ほど出てきた豊受大神。あれ?性別不明とされながらも、天女や羽衣と言えば女性ですね。じゃ、外削ぎは男神ですから、それも嘘?

もしかすると、男女反対ですかと思ったりもしますけれど、この点については神社庁も例外があるとしか答えません。

ここで、私の仮説なのですが…

内削ぎは、女神ではなく、国家国民の平和安定や繁栄を司る内務省的な役割。内なるもののために女性的シンボル。もしくは仏教など海外の他宗教の影響を受けていない日本固有とされる神様。

まぁ、天孫族はそもそも渡来系とされているので初期の天孫族に崇拝される神。

 

外削ぎは、男神ではなく外交貿易国防などを司る外務省的な役割。対外交渉などタフな男性的イメージ。もしくは天孫族崇拝以外の海外由来の神様。神仏習合で仏教に影響を受けたもの。

 

つまりは、内宮と外宮。内務省と外務省。国内と国外。

豊受大神も食物神とされますが、造酒の神様でもあって海外由来の技術伝承であったり、海外からの食物輸入のこととも考えれると思います。

 

熊野三山は外削ぎと内削ぎどちらもありますし、無色だったり朱だったりで、こちらは境内に観音像が多く並び、神仏習合で海外の神の教えを伝承したところかもしれません。

我が家の近くの熊野系神社も削ぎと鰹木の辻褄が合わないのですし、祭神も首を傾げてしまうので、所謂習合なんでしょうね?

 

厳島神社市杵島姫命は海洋交通の神様で、宗像三女神は貿易の神様として出てくることもあります。

 

気比神社は敦賀湾の一番奥ですよね。伊奢沙別命海上交通や漁業の神様ですし、それも加賀と言えば藤原氏藤原氏と言えば百済との関係性とかね。

 

さぁ、どの様に考えますか?

私はそう考えることで、色々な神社に関する疑問がクリアになって行くので楽しいのですけどね。

これは、あくまでも私の仮説ですので、信じるも信じないも貴方次第です。

神代の時代は超健康大国?

高齢化社会を迎えている日本でありますが、記紀によると天皇は100歳を越えた長寿さんばかりで超健康体国であった?

現代の医学の発達した世界でも100歳を超えるのは容易な事ではないですし、その時代に近い縄文人は30歳くらいと言われているのに、そんな訳ありませんよね。

あの織田信長が「人間五十年、下天の内をくらうれば、夢幻の如くなり」って、本当に舞ったのか分かりませんけど、きっと寿命ってそんなものだったと思いますよ。

 

何故、こんな話をするかと言うと、先の邪馬台国論争で一定率、時代背景が合わないと言われる方が居るのです。

wisteriaplus622.hatenablog.com

ここで知ってほしいのが、神代の時代を語る時に忘れられているのが、1年を上と下で2年と見ていたとされる資料が出てきていること。

簡単に100歳ならば、50歳ってことで妥当な話だと思いますね。

 

更に日本史を語る上で重要なのが「欠史八代」です。

神武天皇から崇神天皇までの間には、架空の8人の天皇が記されていたと言う話。

 

存在していたとしても、いなくても400〜500年くらいの歴史は改竄されていた可能性が非常に大きいのです。

結果、日本の建国歴史は500年くらい手前であった可能性もないとは言えません。

 

日本は建国から今年で2,681年を迎えますが、当時、海外諸国との外交にて建国が古く由緒ある国としたかった可能性があるのです。

なので、古代史では科学的な根拠をもって判断しないといけないと言うことですね。

邪馬台国論争には決着がついている

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又、色々な発掘調査で「九州だ」「畿内だ」とやってますけど、これって地震研究とか同じで、東大派や京大派の史学者の利権や金儲けの様な気がしてならないのです。

研究費用って音頭取っているところにお金が動く訳で、それらしい本を出しては金儲けって事じゃないでしょうかね?

 

昨今では、ゲノム解析ミトコンドリアDNA解析も進んでいるので、真実は分かっていても、あえて避けている様な気がしています。

 

写真の本は一部ですけど、色々な本を読んで、私が感じている内容のまとめです。

 

1.邪馬台国はあったのか?

→ありましたが、邪馬台国ではなく倭国でしょう。魏志倭人伝の言葉は中国から見た日本を貶んだ文字で表現したと推測します。

日本は倭国から大和政権が誕生する時には大和国。そして日本となったと思います。

 

2.邪馬台国は九州か畿内か?

→どちらも倭国でしょう。ただ、まだ完全に統治された国家ではなく、それも首都の様な機能の倭国は阿波徳島辺りが始りと考えます。

現代の日本でも、各地の首長が勝手な事を言ってますよね。

初期の倭国は、九州筑前は外交貿易国防拠点。畿内は阿波からの遷都先と考えます。

神武東征は四国の阿波徳島からの遷都の事と私は考えています。

坐神社が畿内に多いのですね。なぜ坐なんでしょうか?本意は朝廷直轄とは違うと思います。

四国の白鳳地震中央構造線沿いに紀の川市から橿原市辺りへと都を畿内に移し、その後、北陸から山陰を外交拠点としたと思われます。

グーグルマップを眺めて見て下さいね。地理的に面白いですよ。

舞鶴の元伊勢神社や真名井神社。そして豊受大神の意味です。どの天皇の時代の話だったでしょうかね?

畿内に移った都から、九州は遠く北陸が近くなりましたよね。

 

更に伊邪那岐伊邪那美の国生み神話では、淡路島、四国と続くのに、瀬戸内をどうして避けた様な話ばかりが多いのでしょうね?

大和政権となり、国を平定するには各地に神話のコピーが必要だったのは、日ユ同祖論からも明白でしょう。

 

3.卑弥呼は居たのか?

→居たと考えますが、国を統治する皇祖神の事では無いと考えます。

天照大御神と同一人物でも無く、神と話が出来るのは古来、巫女だけとされているので、皇祖神天照大御神に仕える巫女。太陽神に仕える巫女なので日巫女。

卑弥呼が閉じこもったまま、人と会わず弟としか話をしなかったのでは無く、天照大御神の神託を伝える巫女で、反対の話であった可能性を含む作り話かもしれないです。

皇祖神天照大御神男神とされる文献や文化が残っており、世界的に太陽神が女性と言われところにも違和感があります。

そして邪馬台国同様、日巫女も中国から貶んだ文字で表現された。

役割としては官房長官みたいなところで、中国が勝手に倭国を統治する人物とした可能性も大です。

もしかすると鬼道を操る巫女は、天照大御神の12人の妻の中から、正室とされる瀬織津姫であったかもしれません。天照大御神の神託が瀬織津姫の言葉と思える節も多々、存在します。

 

4.天孫降臨の地は?

→阿波徳島と考えます。天皇即位の儀、新嘗祭において天皇が着用するアラタエは、現在に至り徳島産に限られています。

神宮大麻と言われる程、麻の持つ意味は皇祖神天照大御神天皇の始祖とするところでも神格化する上でも重要視されています。

天孫族と言われる渡来系民族が、九州筑前の土着の縄文系民族との争いを避けて、瀬戸内を進んだ事は国生みの神話にもそれとなく表されているし、全国を見ても伊邪那美神社は淡路島にしかありません。

 

5.記紀風土記の信憑性は?

古事記日本書紀も都合よく編纂されたものです。

その時の主権を握るものが、都合の良い歴史に置き換えるのは、どこの世界でも同じですね。

特に女系天皇が受け入れられないところに、持統天皇藤原不比等の作為の強さ感じます。

そして注目したいのが、阿波風土記が消されてしまったり、その後も徳川光圀時代や明治初期においても、それらに関わる調査記述が存在していたのにもかかわらず、失われてしまったり、筆者が何者かに殺害されたところにも、何か阿波に関する意図的なものを感じますね。

 

その他にも、中大兄皇子中臣鎌足持統天皇藤原不比等武内宿禰に関わるところでは、歴史を大きく捻じ曲げられた痕跡がありますし、明治時代においては、天皇の出自に関わるところに手を加えた形跡もあります。明治以降には大祓詞にある瀬織津姫を各地の神社から消し去ったり、橿原神宮出雲大社も明治時代の建造物です。

瀬織津姫伊勢神宮内宮の荒祭宮にはその名を残します。兵庫の廣田神社は表向きは天照大御神ですが、地場の方は明治以降に瀬織津姫が消されてしまった事を知っています。

 

そこには縄文時代から弥生時代にかけて混血した多民族の日本のルーツ、特に天孫族に都合の良くない事があったのでしょうね。

 

これらのことから素人考察ながらも、タイトルの様に判断する私の根拠であります。

 

遠く大陸から陸路や海路を使って日本に辿り着いた祖先も調べると、とても興味深く面白いですよ。一例ですけど、朝鮮半島に民族が突然現れるのはアカホヤ火山の噴火後の頃のことです。

縄文人が日本から朝鮮半島へ渡ったと考えて間違いなさそうです。

朝鮮半島の民族と大和民族はゲノムの繋がりは薄いので、高句麗新羅辺りはチンギス・ハーン辺りの民族でしょう。

チベット高原の民族や縄文海進で水没したスンダランドと大和民族のゲノムが近い事も分かっています。

稲作についても米のゲノム解析で、今までの常識は覆りそうですよ。

 

日本の歴史上、注意して見なければならないのは、アカホヤ火山と縄文海進、倭国大乱、白鳳地震あたりだと思います。

 

私の旧石器時代縄文時代の勉強も徐々に進んでいて、意外な研究結果に驚きつつも楽しくやってます。

古代史において重要なのは、やはり科学的な根拠に限りますね。

それらの研究結果を見ながら、日本のルーツを知るって、とても面白いですよ。

いよいよ敦賀延伸

いよいよ、新幹線の敦賀延伸も半月後になりましたね。

 

ここで鉄道やその地域の話をするのが普通でしょうが、私はちょっと偏屈者なので、歴史的な変革点のひとつである、乙巳の変での蘇我氏と中臣氏の関係が頭を横切ります。

蘇我氏の出自の話は各地にありますけど、皆さん、大体、奈良明日香村の印象が強いですよね。

でも私には、蘇我氏は山陰北陸とか阿波から筑前九州の豪族のイメージがあるんですよ。

 

乙巳の変まで大和政権を牛耳っていたのは蘇我氏であり、その乙巳の変で殺害されたのが蘇我入鹿。殺害したのは中大兄皇子中臣鎌足

 

その中臣鎌足と言えば、今わの際で1日のみ藤原氏を名乗り、後に藤原氏族繁栄の仕掛け人と言われる藤原不比等へと繋がって行く訳です。

 

藤原不比等と言えば、日本書紀の編纂に大きく関わっており、対立関係にあった蘇我氏の記述など、どうして正しく伝えるでしょう?

実は古事記にも藤原不比等が関わっていたと言われる文献も残っていたりもしますが、中臣氏(藤原氏)が蘇我氏を討ち取り、新たに大和政権を暗躍牛耳るにあたって、それまで蘇我氏と対立関係にあって抑え込まれていた藤原氏が歴史編纂を正しく行ったかと言えば、御前で殺害までやったのですからね、都合良く編纂したと考えるのが妥当じゃないですか?

 

以前、日本は阿波の国から始まったとされる資料に接するにあたり、腑に落ちる点が色々ありました。

邪馬台国論争、卑弥呼伝説、未だに決着がつきませんね。

 

私の素人考察では、九州が外交国防拠点であった事は間違いないと思います。

畿内が初まりであった説には疑問符が付きます。

何故ならば阿波説を唱える人々の資料を読み解くに、元は阿波にあって四国地方を襲った巨大地震により都の機能を失った事やら、人口増加に伴い食料問題を含め、阿波から畿内へ遷都したと私は判断しています。

愛媛県今治市大山祇神社がありますが、日本の総鎮守であり、伊勢神宮にも分霊されていますね。

違うところを探していれば、決定打は出て来ませんよね。

水銀朱や青銅器、銅などの出土分布や、以前にもお話した阿波国と、そっくりの名の畿内に数ある坐神社の存在など。

確証ではありませんが、阿波を中心に筑前九州まで広がったエリアが、初期の邪馬台国であったのではないかと思います。

それも言われるような名の邪馬台国ではなく、倭国(やまとこく)。

 

そして、その国が蘇我氏が統治する国であったとしたら?

藤原氏の編纂による日本書紀邪馬台国が一切出て来ないのも納得と思いませんか?

そもそも邪馬台国と言う名は、魏志倭人伝など海外の文献に登場するもので、日本の記紀に記載が無いとしても、何か邪とか卑とか良い意味の言葉とは思えないですよね。

悪意があるようにも感じてしまいます。

 

時に九州・畿内説において発掘調査の結果だと持ち出す人も居ますけど、そりゃ、その地ばかり掘り起こしていれば、「あれが出てきた」、「これが出てきた」って当然なりますよね?

時代が進み人口も増えれば出土物点数も増える。畿内説などはその証と思います。

因みに阿波って、そんなに発掘調査してないんじゃないでしょうか?そう言ったところでも公平な解釈だと私は思っていません。

 

卑弥呼」忘れていましたね。どうでしょうね?私は誰か、それらしき人は居たとは思ってますよ。その人物が国を統治していた本人じゃないかもしれませんけどね。

天照大御神と同一人物論も違うと思います。

天照大御神男神ホツマツタヱには出て来ます。

記紀編纂において、女神としたかったので、正室であった瀬織津姫を隠したのです。

卑弥呼、本当にそんな名前だったのか、蘇我氏の関係者だったのか、天皇家の者なのか、巫女だったのか、霊媒師だったのか、祈祷師だったのか…

「漢委奴国王の金印」の話を例に持ち出される方もおられますが、偽印論争もありますね。

まぁ、金印自体は偽物では無いにしろ、見つかった場所や経緯を考えると、それが卑弥呼が居たとされる邪馬台国を意味するものでは無いと私は考えてます。

新幹線の話から、えらく脱◯していまいましたね。縁起でもないので◯にしておきますね。

話を新幹線に戻しまして、来月の敦賀延伸を機会に、北陸地方や震災にあわれた能登地方に活気が戻ると良いですね。

ホツマツタヱを知る。

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神様とは?神社とは?神道とは?

あれこれ学び始めると、古事記日本書紀に必ず違和感を覚える事となります。

この時期の国情政情を考慮すれば、権力者による改竄であることは明らかでしょう。

そんな疑問を持っていると「ホツマツタエ」と言う記紀の存在を知る事になります。

 

古事記よりも前の書物とされるも、一部の方々からは偽書扱いです。

でもね、古事記日本書紀魏志倭人伝でも、当時の権力者が編纂を命じたものですから、それとて言ってしまえば偽書でしょう。

聖徳太子は、神道の人物なのに、人物像を後に書き残した人物は僧侶ですからね。仏教に都合良く書き残した部分があると思いませんか?

史学者にとっても、新しい発見は自分の信じる考察持論をひっくり返えされる訳で、偽書と主張するのも当然だろうと思います。

 

写真の本は、『ホツマツタエ』の入門中の入門編ですけども、私が熱田神宮に持っている疑問点に明確な記述を持っていました。😍

その他にも、天照大御神豊受大神、お社の外削ぎや内削ぎの疑問。🤔 瀬織津姫とは。🥰

神話に現れる各神様の名の由来とかね。

40アヤ(章)に渡る文献全てにまで辿り着いてはいませんが、全てを理解したら、とても面白い事になりそうです。

 

ここから、ちょっと長くなるので、興味関心の無い方は「ホツマツタエ」の存在を知って頂くだけで良いのではないかと思います。👍

「ホツマツタエ」には、天照大御神には12人の妻があったとされ、正室瀬織津姫とされるのですが、6月の…

もしやして、奥さん月替りって事ですか?😅

羨ましい…🤣

神事では「夏越の大祓」ってありますね。6月にね。

スサノオヤマトタケルの人物像も変わって来ますが、とても興味深く面白いですよ。

 

この先は、私も熱くなって来たので、興味のある方は参考までに続きをどうぞ。😅

 

さて、弥生系民族の渡来説については、人類史や地質学を考慮すると、弥生系の祖はユダヤでは無く、古代エルサレム東方辺りの一民族であり、どんどん東へ移り住み、人種交配と移動を繰り返し、今の日本に辿り着いた人種であろう事に私は納得です。

その過程に、日本の神々や語源と思われる酷似した名の人物や土地、物が、いっぱい出て来るのです。

日本の民族が朝鮮半島を経由したとの話に、過剰な迄の反応をする方々がおられますけど、そもそも地質学的には、今の黄海は海で無く、海抜が違っていて陸地であった時期がある訳で、初期の渡来人は、必ずしも朝鮮半島を経由した訳では無いとも考えます。

 

今後、ミトコンドリアDNAやゲノム解析が進めば、よりハッキリとした答えが見つかると思いますが、現朝鮮半島民族には現大和民族特有のD/YAP遺伝子が、殆ど見つからない事からも、現半島系民族とは進化の過程が違う事は明らかでしょう。

 

そして、邪馬台国論争にも未だ決着はつきませんけど、一部落集落の様な考えでは無く、海外との接点は、今の北九州辺りで良いと私は考えます。

しかし、ゲノム解析では九州は縄文系のゲノムが多いのです。

地質学を加味した時、渡来人は火山のある阿蘇方面に向かうのでは無く、古来、太陽の昇る方角の東に向かったと同様に、更に東へ向かったと考えます。

黄海のところでも話をしましたが、近代とは海抜が違い、実は瀬戸内海も容易に進めたのではないのでしょうか?

そして、自分達が大陸から渡って来たように、今度は異民族からの侵略を避ける為にも、安住の地として内陸部に国を作る必要があったと言うことでしょう。

その過程には、国造りにおいて先住民族縄文人との交配も当然あったと思います。

 

魏志倭人伝にある邪馬台国の位置を示す水行や海を、大海原を意味するものでは無く、大きな河レベルと考えると四国、瀬戸内海辺りが、北九州よりも離れ過ぎず、天然の要塞としての山や河があり、そして人々が暮らすに必要な平地も存在しており、本土側ではなく阿波伊予辺りに邪馬台国の本体を造ったとしてもおかしくはありません。

愛媛県今治市大山祇神社があり、日本の総鎮守と言われていますね。どうしてでしょう?

阿波伊予の国には、神話記紀に関係する名の神社がとても多いと思います。剣山って霊山もあります。

水銀朱の産地でもありますよね。

 

そして、時代は進み阿波伊予は中央構造線における大地震の被害を受けます。記紀に残る最古の地震南海トラフと記録も地質学研究にあり、人々は地震災害の難から逃れ、阿波伊予をあとに畿内へと移り住み、国の再建をし、祖の地の神話や逸話を、いかにもその地の伝説の様に作り上げて行ったのではないでしょうか?

 

そして、先の北九州と阿波伊予の関係同様に、その後、日本海沿岸の国防や貿易交流が進み、当然の事ながら周辺縄文人との交配や、更に後に流入してくる半島系の百済新羅系と言わる民族とも交配があり、特に百済系と言われる藤原家の暗躍から、現在の異民族混血の大和民族の礎が出来たと考える訳です。近年のゲノム解析にて近畿四国に渡来系DNAが非常に多く分布するのは、その根拠だと思います。

歴史で勉強しましたよね。加茂、物部、忌部、秦、品部とか色々出て来ますね。

ちょっと話は前後しますが、何故、最高神天照大御神は女神とされたのか?

中大兄皇子中臣鎌足が取り入った天皇持統天皇女性天皇ですね。女性天皇の権威を知らしめる事と、百済からの民族や文化を取り入れる為の取引暗躍があって、女性を最高神とするストーリーを作り出さなければならなかった…そして、真相を理解し東に力を持っていた土着系豪族の蘇我氏を抹殺した。

とても面白いなぁ〜。👀

 

...で、ここまで超ザックリと弥生系民族の素人考察をした訳ですが、じゃ、先住民族とされる縄文系民族は、いつどこから現れたのでしょう?

 

2024年の私の課題は、神道を超えて『縄文人』です。🤣

 

今回はここまでとし、又、機会があれば、勉強の結果をアップしようと思います。

最後まで、私のザックリした考察にお付き合い頂きましてありがとうございます。

神話と記紀とリアルな感覚

前厄の頃から非常に感が強くなり、神社参拝を続けている私ですが、スピリチュアル的な体験や当方の予言と言うか助言が多く的中したりで、神様とは何なのか興味関心を持つ時間が、以前に比べ圧倒的に増えました。

神社ガイドツアーにおいても「何か見えるのですか?」とよく聞かれるのですが、私は霊視の様な能力は持ち合わせていません。

しかし、何か伝えようとして来ているなと感じる事は、嘘隠し無く多々あります。

何か閃きみたいな物と言えば良いのでしょうか?

参拝しても全く何も感じ無い時も当然あります。

 

それが時に、同行された方に対するものであったりする為に、それとなく先方にお話すると悩み事が図星であったり、その後、お話する事で状況が改善したり、予言通りトラブルに巻き込まれたり、ここは私もフラットな感覚でいたいので全てボランティア活動である事から、一応、信望も頂いている訳なのですが...。

 

「このお社の神様は?」と問われれば、神話や記紀にある神様の説明は出来るのですが、神話や記紀って当時の権力者が都合良く編纂したもの多いので、神社や神様を学ぶ程に多くの疑問が出て来ます。

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古事記日本書紀って、海外の神を模倣アレンジしたかの様な記述が多いのも事実だと思います。日本人のルーツを辿れば日ユ同祖論と言う話も、まんざら嘘では無さそうですし、そこは神話や記紀に含まれる隠れた真実を、編纂されている内容から読み解いて、古代史のロマンを感じ取って楽しければ、それで良いのはないでしょうかね?

 

私の大好きな熱田神宮ですが、「草薙の剣を依代とする天照大御神」を主祭神としておりますが、私は「宮簀媛」と感じています。

境内摂社一之御前神社は以前禁足地であり、天照大御神の荒御魂=伊勢神宮内宮荒祭宮と同様に瀬織津姫と仰る方も見えますが、確かにこの場所は強く激しい場所と感じますし、白蛇の住む大楠も境内にあるのですけども、瀬織津姫では無い様な気がします。

大好きな熱田神宮を否定するのでは無く、現代の知識や感覚で無理やり、神話や記紀に当てはめる必要は無いのではと思ったりしています。気や力があるのは間違いないのですからね。

 

宮簀媛が亡き夫日本武尊を想い、大切にした草薙の剣とその剣を祀る為に創建された熱田神宮

それだけでも素敵じゃないですか?

諸説あるところが面白いところですが、天火明命が父であり、その妻が瀬織津姫って説もありますね。

天火明命と言えば、ニニギノミコト天照大御神とかね。

えっ!妻が瀬織津姫って事は、天照大御神は男?

記紀から消されてしまった瀬織津姫が、ここで出て来るのですよ。何故、記紀から消されてしまったのでしょうね。

大祓詞には、全ての穢れを祓う白龍神、水神と出てくるのにね。真実は分かりませんが面白いでしょ?

これは話が長くなるので、また機会があれば触れたいとは思いますが、熱田神宮境内には、ちゃんと天火明命を祀ったお社があるんですよ。以前のブログに紹介しています。f:id:wisteriaplus622:20240109192025j:image

ここでチャネリング出来ると言う方の話ですが、境内のこの場所で女神様とお話出来るそうなのですが、私が不思議な体験をしたのも、実はこの場所なのです。

さて、この女神様は、宮簀媛なのか瀬織津姫なのか?私には見ることもお話する事も出来ませんが、一体どんな美しい女神様なんだろうと考えているのが楽しくもあります。

 

あっ!約束の氷上姉子神社の元宮へ行かないと!

ひい・ふう・ みい・よう…

絵:いらすとや

古代史って面白い。


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www.amazon.co.jp

 

数を数える時に使った事ありますよね?

「ひい ふう みい よう…」

いつ誰に教わったのかも記憶に無いくらい。

 

天照大御神が天の岩戸に隠れた時、天之鈿女命が岩戸の前で裸踊りをして唱えたものと言われており、どうやら祝詞の様ですが、皆さん、誰に教わりましたか?

それが古代ヘブライ語であったのではとのお話。

 

「ひい ふう みい よう いつ むう なな やあ ここの とう」

 

古代ヘブライ語風の発音だと…

「ヒァ ファ ミ ヨ ツィァ マ ナーナ ヤ カナへ タウォ」らしい。

 

まぁ、ここまでは良しとしても、これを和訳すると…

「誰がその美しい人を連れ出すのか?彼女を誘い連れ出すためには何と言えば良いのか?」だそうで…す。

絵:いらすとや

絵:いらすとや

天之鈿女命が唱えたものって…ねぇ〜。天の岩戸でしょ…。

 

信じるか信じないかは、あなた次第です。