皆さん、邪馬台国は知っていても狗奴国と言うと、知らないか、「あぁ、九州南部の…」と言われる方が居られるのですが、それが本当に九州南部の小国だったのでしょうか?
それは魏志倭人伝の一説であって、広く日本国土を見ていたとは考えにくいのです。
実は濃尾平野に2世紀後半の古墳遺跡が存在していたとされる研究発表があります。
その頃と言えば、皆さんが大好きな「邪馬台国」そして「卑弥呼」ですね。
小国を統治する鬼道を使う女王のイメージですよね。
しかし、その頃には邪馬台国の勢力は、どこをどう見ても鈴鹿山脈を越えていないはずで、この濃尾平野の古墳遺跡は、どこの国のものだったのでしょうか?
そんなことから私がいくつか疑問に思うところのまとめました。
1.天照大御神が本当に卑弥呼であるならば、天孫族であり渡来系弥生人。
2.天孫降臨は、そもそも一度では無く何波か移民があって、渡来民族と出会う事を天孫降臨と言っていた可能性もある。
2.日本の縄文時代の民族には国と言う概念が存在していなかったのか?
3.古事記や日本書紀に、なぜ四国と富士山が一切出てこないのはどうして?
4.倭国大乱の正体とは?
5.魏志倭人伝にある顔に入れ墨をしていた民族と言うのは、古来石器時代より、この国に居た縄文人ではないか?
6.日本武尊命の足跡と日本人のゲノムの関係は?
7.邪馬台国が対立していた国は?
と言う疑問から色々と考察してみたいと思います。
先ず、天孫族と言うのは以前から申し上げているように、九州筑前辺りから四国、瀬戸内、畿内そして北陸に広がった民族と想像します。
その中でも、始まりは阿波説を私は有力視しています。
縄文系ゲノム分布を見れば、この考察は正解に近いと思います。
では、皆さんの大好き出雲神話の地はどうでしょう?
これを見ると島根には縄文系ゲノムが多いですよね。国譲り神話はどこの話でしたでしょうか思い出してみて下さい。
そして日本武尊の足跡は、縄文系ゲノムの多いエリアに向かっていませんでしょうか?
日本武尊の東征は有名ですけど、出雲もあれば熊襲征伐ってのもありましたよね。
あれだけの山が記紀に無いのは、敢えて避けている様な気がしてなりません。
日本武尊が東征にて、草薙の地で襲撃にあっているのに、この地から確認出来るであろう富士山には、その前後においても一切触れていないのは不思議ですし、しかもこの襲撃を企てた者は、一体どこの国のものなんでしょうかね?
2024年初めに私の今年の勉強対象は縄文時代と申した様に、日本のルーツを探るには、やはり石器時代と縄文時代をしっかり学ばないと、弥生時代の都合よく編纂された記紀内容だけでは、どうにも説明のつかないところに突き当たってしまうのです。
弥生時代のところで日本の成り立ちが始まったとされるのは、所謂、天孫族を始祖とする天皇家の始まりであったり、大和政権のことであって、日本(国土)や民の始まりではありませんね。
きっと、土着系民族との争いや和合があって、弥生時代へと移行して行ったと思われるので、それらを調べてみますと邪馬台国に対立する勢力のことが分かりました。
それが狗奴国。
そして縄文系民族の国であると…
それも指導者の名は、卑弥弓呼(ひみここ)。男性の様です。
まぁ、これも魏国(中国)の言い方なので、本当にその様な名前であったのか不明です。
いやぁ〜、面白くなって来ましたね。
詳細を細かく書いていると、かなり長文になるので要点のみを記すと、鈴鹿山脈より東方には2世紀頃には既に国が存在していて、それは邪馬台国(倭国)と対立関係にあった狗奴国であった。
九州南部の狗奴国は、九州筑前から瀬戸内周辺を領地、もしくは属国とする天孫族によって分断されたものと考えてもおかしくない。(熊襲)
山陰側も邪馬台国(倭国)が統治する様な状態では無く、狗奴国であった可能性もある。(縄文系ゲノム分布と国譲り神話)
卑弥呼が魏国の後ろ盾を必要とする様な記述や金印が存在しているのは、この狗奴国との対立にておいて、何らか魏国に手助けを求めたものかもしれない根拠としてもあり得る。
邪馬台国(倭国)からヤマト王権と、この国を平定する背景において、東征した日本武尊の足跡も見てみると、東や山陰、九州に存在していた狗奴国との戦や和睦交渉の事だったのかもしれません。
そう考えた時に天皇家の祖先が古代からの土着系縄文人ではなく渡来人となる訳で、それが具合が悪いと土着系縄文人の狗奴国に関わる記述描写ところを全て破棄し、天孫族こそが皇祖神であるとしたかったので、都合の良い神話や記紀が書き起こされたのではないかとも推測されるのです。
因みに狗奴国の指導者の卑弥弓呼(ひみここ)は素戔嗚尊ではないかとの説も存在していて、姉弟の様な名前ですよね?
更に面白いことに、伊勢国の入口である三重県桑名市と川を挟んだ反対の愛知県県境西端近く(濃尾平野西端)には、素戔嗚尊が御鎮座される津島神社総本山があり、伊勢の入口には北伊勢神社と言われる多度大社(天津彦根命)に天照の第三皇子が鎮座されているのも面白いです。
さて、それらの事を踏まえて、色々文献を探すと1冊のそれらしいのを見つけましたよ。
最近、私のお気に入りの茂木誠さんが対談されていた高橋さんと言う方も、確か関東起源説を提唱されていた様に思います。
しかし狗奴国が天皇家の起源の可能性がないと断言は出来ませんが、私は今のところ考えにくい部分があるので、しっかりと内容を精査理解しないといけないと思っています。
四国や富士山が記紀に描写されないのも、やはり阿波と狗奴国に真相がありそうで臭いがプンプンしています。
本居宣長の古事記伝も面白そうです。高くて買えないので図書館かな?
さて、これらの話を信じるも信じないも貴方次第ですが、当方、理系人間なのですが、久しぶりに本当の勉強の仕方を思い出した様な気がしています。
教科書をトレースする様なものは、そもそも勉強じゃないですね。それは所謂、学習ってやつですね。
自分なりの推論仮説を持って、いきなり答えに辿り着かなくても、疑問をひとつずつクリアにして行く過程の大切さですよ。
まだまだ、古代史がクリアになるのは先の話でしょうけど、当方の素人推論にお付き合い頂きましてありがとうございます。自画自賛ではありますが、そんなに外れていないと思いますよ。
また、新しい発見がありましたら、推論記事を書いて行こうと思います。
上の本の帯にもありますよね。「歴史は文学ではない、科学であるべきである。」
それですよ。