「また、おかしな事を言ってるよぉ〜」って思っている方、天照大御神は女神と信じておられるとは思いますが、実は所々に男神とされる記紀が残っているだけでは無く、祇園祭岩戸山には男神として飾られていたり、ホツマツタヱの記述でも男神なのですねぇ〜。歴史ある祇園祭で間違ってますかって話。
そりゃね、私も美しい容姿の女神様ならと想像するだけもワクワクするのですが、太陽神を女性とするところに私は疑問を持っているのです。
「男神な訳ないだろ!」って反論される方の考察って、先ずは絶対違いないとの思い込みだったり、天照と卑弥呼は同一人物だよとか、邪馬台国が…云々って話だったり、ちょっと勉強された方の場合だと、天照大御神は大日孁貴(オオヒルメノムチ)と言う名で霊女、巫女だと言う根拠に、「孁」の字について「孁は、巫女の意で用いた文字であろう」と言われるのです。
「孁」に似た「靈」の字(「霊」の旧字体)には巫(神に仕え神意を伝える人)の意もあるので、この靈の巫を女に改め、孁とすることによって巫女であると力説されるんですが、日靈とも書くのに、わざわざ孁のみを強調するんです。
多分に漏れず、邪馬台国は九州だ畿内だと力説される方に、その様な傾向が強くあります。そこに阿波徳島の考察なんて一切一言も出て来ない。
因みに、この文字は借字とも言われていて、本来の意味とは違う漢文字なのかもしれないのです。
巫(ふ)が、性別の話がではなく、神に仕えるものとの解釈と思いますし、巫が下支えしている文字ですよね?
巫(ふ、かんなぎ)は女性だけではなく、巫覡(ふげき)と書くと男性にもなります。
例えば、全ての御位牌を見たわけではありませんが、戒名下の霊位が靈位である事は見たことがありますが、女性だからと孁では無かった様に思います。
そして、造化三神である高皇產靈(タカミムスヒ尊)や神皇產靈(カムミムスヒ尊)、そして明らかに男神とされる火產靈(ホムスヒ)などの神名にも、巫(ふ)の意がある「靈」の字を用いている古記もあるので、巫(ふ)を女性とする根拠とするならば、極論、全て女神と解釈出来る事にもなってしまい、とてもおかしいな事になってしまうのです。
天照大御神が巫女であったとする説は、高皇產靈(タカミムスヒ尊)に仕える巫女であったとする説もあるのですが、この漢文字を根拠とするならば、高皇產靈(タカミムスヒ尊)自身もまた神に仕える巫(ふ)、又は巫女ということになってしまいますし、また、火產靈(ホムスヒ)は火の神であり、男神の軻遇突智(カグツチ)の別名ですが、生まれてすぐ伊奘諾(イザナキ尊)に殺されているので、巫(神に仕え神意を伝える人)と言う意味でも無理がある気がします。
どうしても大日孁貴を女性としたい作為があるように思えてなりません。
はたして天照大御神は男か女か?
陰陽論で考えれば伊弉諾尊は陽神(男)、伊弉冉尊は陰神(女)です。
であれば陽である太陽神の天照大御神は男性であると考えるのが自然なことです。
ホツマツタヱには天照大御神と12人の妻、そして正室の瀬織津姫の事が書かれています。
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また平安時代の『伊勢奉幣使記』『山槐記』『兵範記』には天照へ捧げる麻の衣装として男性用装束が奉納されたことが記されています。
天照大御神が宿るとするアラタエは徳島産の麻でないと駄目とされてますね。
神社で授与する御札は伊勢神宮以外は大麻(オオアサ)ですよね。
では、なぜ天照大御神は女性とされたのか。
古来より男性たる太陽神に仕えるのは女性の役割とされており、神を己の体に降ろし、神の言葉を巫女が代弁していました。
そのことからやがて、太陽神である皇祖神天照大御神と神託を告げる巫女が混同されるようになり、日の巫女を意味していた大日孁貴は天照大御神の異称として使われる事になったのかもしれません。
そしてもうひとつ解決しないといけないのが、太陽に仕える女性・日の巫女・大和国の祖と言って連想されるのは邪馬台国(倭国)の女王卑弥呼ですね。
卑弥呼はシャーマンとして民衆に神託を行い、男性たる太陽神を崇める日の巫女が、口伝でそれを伝えているうちに、あるいは自分らを神の子孫とすることで権威を高めたのかもしれません。
よって民は、太陽神と日の巫女を同一視し始め、皇祖神は女性神としたのかも知れません。
それらの名は邪馬台国も卑弥呼も、魏志倭人伝に出てくる名であり、海外の者が書いた書物であることも忘れてはいけません。
更には明治時代の神仏分離にて消し去られてしまった瀬織津姫の事も忘れてはいけません。大祓詞にその名が記されているのにおかしいでしょ?ホツマツタヱには、しっかりと天照大御神の正室とあります。
記紀編纂よって、持統天皇と藤原不比等による記紀改竄も皇祖神が女性であることの方が都合が良かったので、その様に記紀を作ったとも考えるのが自然です。
では、本題の天照大御神の正体は?仮説としておきましょう。
天火明命(アメノホアカリ)は尾張一之宮の真清田神社の主祭神としても祀られています。大和国の建国と創建があまり変わらない歴史ある神社です。
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因みに天照とは、本来、国家の名前の事ではないのでしょうかね?
天照大御神と卑弥呼の関係が切れないのであれば、卑弥呼の跡継ぎと言われるのは血縁もない壱与(いよ)です。
あれ?もしかして伊予国?じゃ、阿波は天(アマ)だったのかもしれませんよ。
先般お話した阿波出雲の話。諏訪大社も阿波の元宮から分祀したと明記されています。
そろそろ、史学者も真剣に阿波を調べた方が良いのかも知れませんが、もしかすると天皇家の出自を暴く様なことが許されていないのかもしれません。
なので史学者の中で阿波を避けてお話をする方と天照大御神を無理やりでも女神としたい方の話は、信憑性に欠けるし、新しい発見は生まれない様な気がしてなりません。
それこそが、邪馬台国論争が300年決着がつかない理由とは思いませんか?
私の勉強結果は、始まりが阿波で無くても、男神でも女神でも良いのです。神社の千木がおかしくても、日本のルーツ。真実に少しでも日本人として近づけたらそれで良いのです。日本を正しく理解するとでも言いましょうかね。
そんな中で我がホームグランドの熱田神宮でも真相にも近づけました。
阿波の出雲や諏訪、歴史ある諏訪大社でも元宮は徳島です。
畿内の坐神社はどこから来たの?
壱与って?伊予之二名島、愛媛県今治市にある総鎮守の大山祇神社の存在は?
瀬戸内の出口には、関門海峡、豊後水道、明石海峡、鳴門海峡があって、魏志倭人伝にもあるように危険な関門海峡は避けて迂回して陸路に進んだのですよね。
潮流の速い場所は自然の防壁として最適ですよね。そして瀬戸内海を東進して進路正面には淡路島です。
伊邪那岐、伊邪那美の国生みは、淡路島そして四国と始まりました。
魏志倭人伝の邪馬台国(倭国)の位置は、直線距離でピッタリ阿波徳島です。この時代の魏国には測量技術は確立していましたよ。
どうでしょう?仮説推論だとしても何か楽しくないですか?