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空海と中央構造線

偶然ではありますが、映画配信のサイトにて「空海」が目に止まりました。

 

真言宗の開祖として、また書の達人として、更には四国のお遍路さんでも有名なところですよね。

以前から気になっていたところでは、愛知県は知多半島南知多町に上陸大師って、海の中に弘法大師像が立っているんですね。

気になると言っても「何で南知多に上陸したの?」くらいのものですし、それ以上の興味も無かったのが正直なところです。

 

写真:ピンタレスト

そして、この南知多町を含む知多半島にも八十八箇巡り(実際は100箇所くらいあります。)があって、空海という人は、本当に真言宗の布教に熱心だったんだなぁ〜くらいの印象だったのですけども、古代史を勉強していると、今では違う見え方がするのです。

 

空海の足跡を追いかけると、中央構造線に関係して動いている様に見えて来ます。


愛知県の場合は、空海南知多町に上陸しましたが、以前、伊勢湾航路で経験をしたことなのですが、快晴の海でも小型漁船など見ていると波間に落ちていくような波の高さと、外洋に近いので、ところどころ色が変わって潮流が速そうな場所があったことを記憶しています。

空海が本来目指したのは渥美半島伊良湖岬だったかもしれず、もしかしたら伊良湖半島は無理で知多半島に着いたのか、漂着したのか、知多半島を初めから目指したのであれば、南知多町の上陸地点が三河湾側と言うのも何となく疑問なところがあります。

 

もし渥美半島を目指していたのならば、明らかに中央構造線を理解していたと思って間違いないですし、知多半島を目標に定めたのならば、中央構造線知多半島内で探し回ったかもしれず、それが弘法知多八十八箇所巡りの元になったのかもしれません。

 

 

赤いラインが中央構造線です。内帯と外帯が接する場所ですね。

主要な神社などが、この線上にご鎮座されています。伊勢神宮諏訪大社鹿島神宮もです。

お寺ですと、それこそ高野山が該当しますし、四国内には空海の出自のこともありますが、真言宗のお寺が中央構造線近くに多い様に思えます。

この中央構造線は所によって水銀朱の採掘出来ると言うこともあり、海外で遺体を腐乱させないよう水銀朱が重用されて取引されていたことは、空海が活躍する平安時代より前から既に分かっていた事です。

 

そうすると、空海って本当に真言宗の布教が目的だったのでしょうか?

書の達人ではなく、地質学を学んでいて鉱山を探していたのではないでしょうか?

水銀朱を見つければ、それは資金元ともなりうる話です。

真言宗の布教をするにも資金が要ったでしょう。

好意的に解釈すれば、中央構造線上にはゼロ磁場とかあったりするので、何かスピリチュアル的な神仏に関する場所を探していたのでしょうか?

 

いやいや、まさかの空海さん。とても面白いです。

またまた妄想癖がムクムクと…