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チャレンジしたい一冊「田中英道 著書 高天原は関東にあった」

日本古代史の勉強をしていて、田中英道先生のお名前を拝見する機会がありました。

この本は、定価7,000円の本なので、簡単に入手とはならないのですが、個人的に日本人のルーツとはと、色々な文献に目を通して来ましたが、その中で田中先生の資料を拝見するにあたり、とても興味深い考察だと思っています。

 

今まで日本建国の起点を「邪馬台国」「倭」「倭国」「大和」とした考察の書物ばかりで、一例ですが日本武尊の東征の意味も曖昧であったり、ホツマツタエに出会って、新たな発見もありましましたが、視点がどうしても弥生系渡来人の西日本版のストーリーなんですよね。

 

当然、記紀編纂が拠点を奈良や京都にした考え方なので、東日本の国の話など、正直どうでも良い訳で、富士山が出て来ない理由は、そこにもありそうです。

魏志倭人伝などは、中華思想の海外の産物なので鵜呑みには出来ませんし、東方の国との対立で邪馬台国連合国は魏国に加勢を求める使者を送った訳で、対立関係にある日高見国や狗奴国など書き残すこともしていません。

 

邪馬台国の話は、圧倒的にファンタジー的な捉え方のものが多いですし、その対立していた国のことなど、敢えて触れてもいなければ、深く掘り下げることもなく、文献を探しても存在していないと同様な状態です。

wisteriaplus622.hatenablog.com

 

これは田中先生の考察によるところの、縄文系民族「日高見国 高天原」と、皆さんの大好きな弥生系民族「邪馬台国連合国」の関係図です。

図はざっくりしてますけど、とても面白い。

 

私は神武東征は、先ず渡来系民族が居た北九州辺りから、瀬戸内を進んで阿波の地に進み、白鳳地震以降に橿原に進んだと思います。

出雲の話は阿波の出雲。何故なら明治まで島根出雲大社は出雲ではありません。

出雲風土記の話を出される方も見えますが、古事記日本書紀に、元々、出雲神話は無く、8世紀の平安時代初期に編纂されてものとされると発表もあります。

諏訪も阿波にありますし、諏訪大社にも阿波から分霊されたとあります。

橿原神宮とて明治以降に、創建されたものですしね。

神武天皇の存在自体も不明要素だらけなので、もしかすると神武東征は遷都のことを意味しているかとも思っています。

まぁ、時代的に都と言う規模ではなく、きっと始まりは主権者が居た大集落でしょう。

 

そして、初めて橿原の地に進むにあたっては、中央構造線陸路の紀の川吉野川辺りを進行したのでは無く、海路を一旦、和歌山県白浜、そして三重県熊野へと進んで上陸し、更に陸路を北上したとされる内容に妥当性があるように感じています。

熊野三山って何?って思いませんでしたか?

きっと陸路を進むには土着豪族との争いのリスクがあって、主に海路を使った方が安全だったのではないでしょうかね?

日本の古代民族は海洋民族であった可能性もあって、現代人が思っているよりも海路の方が安全且つ簡単だったかも知れません。

 

そして橿原において大和政権を作った後に、日高見国との国家統一平定の為に、日本武尊常陸国(日高見国)へ向かったとされるならば、記紀にあるストーリーも理解出来ますし、草薙の地で地方豪族に野火を放たれた話にも納得出来るものになると私は感じています。

 

7,000円の書なので簡単には購入出来ませんが、いつかチャレンジしたい一冊ですね。